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執筆者の写真daisuke ichinose

幸せの基準は相対評価で決まるのか?

年収300万円と聞いて、皆さんはどんなことを考えたでしょうか?

恐らくほとんどの人が、年収が低いと感じたのではないでしょうか?

ちなみに、日本人サラリーマンの平均年収は400万円です。日本で言うと、300万円と言う額は低く感じられるかもしれません。



ですが、世界と比べた場合にはどうでしょうか?

日本人の平均年収は世界で24位です。確かに、先進国の中でもズバ抜けて低いことは事実ですが、それでも24位/196位中です。つまり、世界基準で考えると、日本はまだまだ裕福な国と言えるでしょう。世界基準で考えた場合に、年収300万円と言う数字はお金持ちの部類に入ってきます。貧しい国の人々から見たら、年収300万円は夢のまた夢です。



ここで筆者が言いたいことは1つです。大半の人が思い込んでいる幸せの定義とは、他人と比較した場合に他人よりも良いか悪いかといった相対評価によって判断している幻想にすぎないと言うことだ。つまり、年収300万円の人は、自分よりも年収の高い人と比べて自分の年収が低いと思い込み、そこでネガティブな負の感情を創り出し、自分が貧乏で不幸な人間だと勝手に判断しているにすぎない。



この他人と比べる相対評価を続けている限り、一生幸せにはなれない。何故なら、比較対象に上限がないからだ。例えば、自分より年収の高い人間など山ほどいるし、自分よりも綺麗な人は数えきれないほどいる。要するに、他人と比較することで自分のポジションを把握し、自分の優劣を判断することなど無意味で愚かな行為と言えるだろう。

むしろ、こと幸せについての定義を考えるならば、絶対評価だけでいい。

つまり、全ての物事に対する判断の軸を自分に置いていれば、他人のことなど一切気にならなくなる。



時に愛さえあれば、お金がなくても幸せだと言う話を聞くが、これはある意味真実ではある。こういった境地に辿り着いた人達は、完全に幸せの尺度が絶対評価によるものからきているので、より幸せを享受しやすい傾向にある。

ただし、それが強がりだった場合なら話は別だ。自分の心の奥底にある欲求に蓋をした上での価値観になるので、それを叶える為には時に競争も必要にはなってくる。



少し哲学的な内容になってくるかもしれないが、自分の世界観というものを構築し、そのルールの中でのみ自分の良し悪しを判断することで、外界からの雑音など一切気にならない自分だけの幸せに辿り着けるはずだ。自分より不幸な人を見つけることで、自分が幸せであることを実感するのも結構だが、少々ダサい生き方ではある。

最終的には、やはり自分の価値観に従ってどれだけ行動できたかが、1番幸福感を得られるのではないだろうか?  Good Luck!

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